沖中造林株式会社 作業班長 前田健作さん

樹齢100年余りの杉が林立する前で、前田さん(左)と沖中社長。
ふたりは「まず、やってみよう」という心構えで、三重県の林業に新風を吹き込む

「趣味の釣りを、思いっきり楽しんでいます!」
元警察官は、自然林を再生させて循環型社会を目指す

沖中造林株式会社 作業班長 前田健作さん(42歳)

周囲を山々に囲まれた三重県松阪市飯高町。良質のスギ・ヒノキの産地として知られるこの地に、沖中造林株式会社の社屋があります。
清流として名高い櫛田川の上流に広がる波瀬地区に、約1000haの社有林を持つ同社。前田さんは5年前に関東地方から移り住み、この会社に就職しました。

自然の中で働きたい、それが林業だった

前田さんの前職は、なんと警察官。神奈川県出身の前田さんは、千葉県警の交通課で事故捜査に従事していたそうです。そんな前田さんが縁もゆかりもない三重県に住居を移して、全く経験のなかった林業の道を歩む。
傍目から見れば、ずいぶん大胆な転身に見えますが…。いったい何が前田さんをそこまで駆り立てたのでしょうか。詳しくお聞きすることにしましょう。

関東の理系大学を卒業して、大学院まで進んだという前田さん。自然科学が好きで、土壌学を専攻していたそうですが、兄が警察官だったということもあり、同じ道を志しました。
「警察の仕事はやりがいがありました。ただ、やはり激務で、自由な時間などは無きに等しい。なおかつ、都会の真ん中で車に囲まれてという環境の下で過ごしてきました。学生の時に自然科学を学んでいたというのもあり、大自然の中で働きたい、そんな仕事はないかなという思いが、知らず知らずのうちに募っていたのでしょうね」と語る前田さん。釣りや登山が趣味だったこともあり、林業をやってみたいとの思いが日ごとに増していきました。

さっそく情報収集を開始した前田さん。ちょうどその時期に募集があったのが、三重県と和歌山県だったそうです。開催されていた合同セミナーに足を運び、そこにブースを出展していた沖中造林から説明を聞いて、林業に転職する決意を固めました。

「警察官を辞めて林業をしたい。彼に初めて会った時、退路を断ってこの世界に飛び込むとの強い意志が伝わってきました」と語る沖中祐介さん。沖中造林の六代目で、父親の後を継いで2022年の9月に社長に就任しました。
「一口に林業といっても幅広い仕事があるので、職種を問わず社会人としての経験があれば、それを活かすことができると思います。私も以前は銀行に勤めていましたし、その時学んだことは決して無駄にはなっていません。余計な先入観を持つことなく、どんどんチャレンジしてほしいですね」とのことです。

残業なし、休みもしっかり取れる

「実はもう1社候補がありましたが、沖中社長から『ぜひ来てほしい』との手紙をいただいたのが決め手でしたね」と語る前田さん。三重県は海や川も多いので、趣味の釣りを思う存分楽しめるというのも魅力だったそうです。実際、今の勤務時間は7:00から16:30まで。残業はほぼなく、週末に休日もしっかり取れるとのこと。世間でよく言われるワーク&ライフバランスを実践しているのが林業という仕事かもしれません。前田さん自身、休みの日にはほとんど釣りに出かけているそうです。

「住居は会社が捜してくれました。住まいと仕事が決まれば、もう迷いはなかったです。幸い独り身でもあったので」と笑う前田さん。「正直、警察官の時と比べると収入は減りました。でも、この辺りは家賃や物価も都会に比べると安いし、近所の人から野菜や鹿肉をもらったりするので、食費の面でも助かっています。暮らしていくには何の問題もないし、貯金もしっかりできていますよ」と明るい表情です。

女性にもどんどん入ってきてほしい

「林業に転職してから、自分が自由に使える時間は各段に増えました」。と言う前田さん。
沖中社長も「とにかく稼ぎたい、お金が欲しいという生き方を否定はしませんが、そのような人は林業という仕事は向かないでしょう」ときっぱり。「趣味を充実させたい、家族との時間を大切にしたい、喧噪を離れてゆったりと暮らしたい。そういうことに価値を見出せる人なら、ぜひ一緒に働きたいですね」と語ってくれました。

「女性にもぜひ林業に目を向けてもらいたいんですよ。細かいところによく気がつくなど、女性ならではという部分を活かせる仕事もたくさんあります」と沖中社長。力仕事で危険も伴うという画一的なイメージで語られることが多い林業ですが、地球環境を守ることが喫緊の課題となっている今、林業の果たす役割が注目されており、これからの時代は、女性ならではの視点を活用していくことが必要であると考えているのだそうです。

地域の活性化に手を貸してもらえれば

「地域外から移住してくれる人が増えるのは大歓迎です」と語る久保一也さん。町内の世話役的な立場であり、自然体験などのイベントを軸に地域の活性化をめざす特定非営利法人「アイシエラ」の理事も務められています。
「前田君には地元に溶け込もうとする姿勢がありますね。お祭りなどに積極的に参加したり、釣ってきた魚を近所の方々におすそ分けしたりとか。私たちも事あるごとに声をかけさせてもらっており、お互いに良好な関係が築けていると思います」ということです。

「実は、前田君にぜひお願いしたいことがあるんですよ」と久保さん。この地を訪れる人へのガイド役を担ってほしいと考えているとか。
「山のプロでもある彼なら、森林が果たす役割や持続型社会と林業の関わりなど、物見遊山の観光だけに留まらない深く、味わいのある話をしてくれると思っています」。
地元の魅力を、移住してきた人に語ってもらう。また地域外から来た人だからわかるこの町の良さというのもあるはず。「地元民とか、移住者とかの区別はありません。共に手を取り合ってこの飯高町を盛り上げていければいいと思っています」と力強く語ってくれました。

山を造り、自然を守る。私の仕事

「林業の魅力って、何ですか」。いきなり直球の質問を投げかけると、前田さんはしばし考えた末、このように答えてくれました。「山の環境を知ることができる…かな」。
山の環境は、実際に山に入って観察しないとわからない。鹿の食害しかり、土砂崩れの状態しかり、いかにもろい基盤の元に成り立っているのかが見えてきて、世界中で話題になっている環境問題の「リアル」が理解できるそうです。では、自分は今何をしなければいけないのか。林業を仕事にした前田さんは、ひとつの結論にたどり着きます。

「林業ってある意味、自然を破壊する行為なんです。でも日本の自然を守るのもやっぱり我々だと思っています」という前田さん。普通、木を伐採した後には、苗を植えて育林して再び伐採します。このサイクルで林業は成り立っています。ただ、環境負荷が大きいなどの理由で、再植林をあえてしない区域もあります。
前田さんは、そのような場所を自然林に戻すというプロジェクトを始めました。
こまめに草刈りをして、生態系を壊さないように注意深く自生している広葉樹を育てます。
すぐに結果は出ないし、長期間にわたって地道な取り組みが必要とされるでしょう。
「期待通りの結果になるのか、正直僕にもわかりません。でも 会社も応援してくれているので、精一杯力を尽くしたいと思います」と語る前田さん。最後に元気よく「自然を守ることや環境問題に関心のある方、できれば僕と一緒にこのプロジェクトをやってもらえませんか。それこそ女性に向いている仕事かもしれません」と締めくくってくれました。