有限会社ナカイ 中川愛知さん

「都会に住まないとできないといった思い込みを、一度取り払ってみては」と語る中川さん。
ネットインフラが発達した現代において、住む場所による差異はほとんど感じないという

自分のペースで、仕事も、家庭も、趣味も…
人とつながることの大切さを、林業が教えてくれた

有限会社ナカイ 中川愛知さん(38歳)

人間関係で悩んだ末…林業という選択

一つひとつ言葉を選ぶような、丁寧でわかりやすい口調で話す中川さん。実直で生真面目そうな性格が、こちらにも伝わってきます。それもそのはず、林業の仕事をする前は、愛知県内で特別支援学校の教員をはじめ、ずっと教育に関わる仕事に就いていました。自ら「いわゆる固い家柄でした」と言うほどです。
そんな中川さんが、余り似つかわしくないとも思える林業従事者になったのは、どういう経緯があったのでしょうか。人生の岐路に直面して「林業」という選択をした中川さんにその思いをお伺いしました。

「妻から『あなたらしくなくなっている』と言われまして…。その時ですかね。このままじゃいけないって思ったのは」と語る中川さん。結婚して、子どもが生まれて、一見すると順風満帆に見える生活に影が見え始めたのは、職場の人間関係でした。
「その頃は、学習塾に勤めていたんですが、上司や同僚との付き合いに疲れてしまって…」。悩んだ末に頭に浮かんだのが、幼い頃に見た『アルプスの少女ハイジ』だったそうです。「現実逃避ではないですけど、あんな風に人の少ない山の中で暮らしたいと父親に言ったんです。そうしたら『やればいい』と…。絶対反対されると思っていましたけどね」。

人間関係が密ではない、人との関わりが少ないところに生活環境をシフトしたいと考えた末に、林業を志した中川さん。奥様も「あなたらしく生きられるのだったら、それでいいんじゃない」と賛意を示してくれたそうです。
家族の後押しもあり、林業に関する情報収集を始めた中川さん。全く未経験の世界に飛び込むにあたって、とりあえず資格を取るのが近道だと思い、わざわざ香川県まで足を運んで3週間にわたる講習を受けて、チェンソーなどの資格を取得しました。

開口一番「そんなヒョロヒョロで大丈夫か」

資格を取った上で、本格的な就職活動を始めた中川さん。その頃、住居のある愛知県内では思うような求人がなく、紹介してもらった三重県の有限会社ナカイに面接に赴きました。「白いカッターシャツにネクタイを締めて挑みました。そうしたら、いきなり代表に『そんなヒョロヒョロで大丈夫なのか』と言われて…」と苦笑しながら語ります。
転居先は市の空き家バンク制度を利用したそうですが、その時に対応してくれた市の担当者からも「あなたが林業をやるんですか」と真顔で聞かれたそうです。

「第一印象は確かにそんな感じでしたが、来る者は拒まずという考え方なので」と語るのは、ナカイ代表の中井由貴生さん。「まずは3ヶ月ぐらい実際に体験してみて決めてくれてもいい。要はヤル気があるかどうかで、技量は後からついてきます。長い目で見るので、我こそはと思う人はぜひ挑戦してほしいですね」とも。中川さんも「全くの未経験だった自分を受け入れてくれた代表には感謝しています。自分自身、これでダメだったら家族に合わす顔がないので、そういう切羽詰まった気持ちが代表にも伝わったのかなと思います」と語ってくれました。

事前の準備を万全にして事故を回避

大学を卒業して就職してからは、運動らしい運動をしたことがなかったという中川さん。この地に来て5年、身体は見違えるほどたくましくなりました。しばらく疎遠になっていた知人に会うと、体型の変化に驚かれるそうです。すっかり林業従事者の体つきになった中川さんですが「入社して1年ぐらいはキツかったですね。仕事から帰るとすぐに気を失ったかのように眠り込んでいました」と壮絶な体験も。
Voice1で紹介した前田さんも「元警察官なので、体力にはそれなりに自信があったんですが、使う筋肉が違うので、慣れるまでは大変でした」ということです。誰もが通る道とはいえ、これから林業を志す人は、この点は留意しておいた方がいいかもしれません。

「このことはぜひ、言っておきたいので」と中川さん自ら口火を切ったのは「危険」だという林業のイメージについて。「私も作業中にケガをした経験があるので、100%安全だとは言い切れません。ただ、その原因を突き詰めてみると、結局『自分』ということになるんですね。きちんと準備をしていたか、私的な考え事や悩み事を持ち込まずに作業をしていたか、周りの人の言うことを聞いていたか。予想できる危険は事前に回避する。ゼロにはできないにしても、事故に会う可能性を限りなく少なくすることはできると思います」と語ってくれました。

仕事する姿を見て「パパかっこいい」

落ち着いた様子で質問に答えていた中川さんが満面の笑みを浮かべたのは、やはりお子さんの話題。「木を切って、自然環境を守っているんだよとか言って…。林業って、子どもの前で胸を張れる仕事なんですね。伐倒する姿を見せたら『パパかっこいい』って」。
すっかり、8歳と6歳の子のお父さんとしての顔になりました。将来は、子どもたちに林業の奥深さや魅力を出前授業や社会見学などの機会を使って伝えていきたいという希望もあるとか。元教員の中川さんにとって、まさに適役といえそうです。

そんな中川さんの趣味は、読書と料理。じっくりと本を読んだり、自己研鑽ができたりする環境にあるといいます。「少し前に鹿肉をもらったので、どうしたら美味しく食べられるか色々調理方法を試してみました。林業に転職して、本当に自分の時間が増えたという実感があります」と満足そう。現在、愛知県に住んでいる家族の元には、週末になるとほとんど帰っているとか。「連休や長期休暇も取れるし、いつでも帰れるという感じで、距離があるとは感じませんね」とのこと。住まいを変えて、仕事も変えた末に自分に合った生活のリズムを確立したようです。

「伐倒なら一番」を目指して腕を磨く

現在、中川さんは沖中造林株式会社のメンバーとチームを組んで、現場作業を担当しています。「伐倒、造材、搬出と内容は多岐にわたりますが、自分としてはチェンソーを使って木を倒す仕事が一番好きですね。全く同じ木はないので、1本1本いかに手数を少なくして伐るのかと考えるところに面白みを感じます」とのこと。時間を掛けず思い通りに倒せた時は、心の中で達成感を覚えるそうです。倒した時に、その他の木を傷つけないか、あるいは切った木が自分に跳ね返ってこないか、他のメンバーに危険を及ぼすことはないかなど、狙い通りに木を切るために考えなければならないことは多々あると言います。

「仕事中は、危険防止の意味でも頻繁に声を掛け合いますが、プライベートは人それぞれ。人間関係はさっぱりしています。実は自分もそうなのですが、彼らのような異業種から、未経験で転職した人でも、十分活躍できる余地があります」と言うのは、中川さんの先輩にあたる片山哲也さん。
沖中造林の社長である沖中祐介さんも「中川さんには伐倒に関しては、ここで一番と言われるぐらいになってほしいですね」と大きな期待を寄せています。「伐倒って、林業の工程の中で一番体力もいる、気も遣うという大変な作業ですが、中川さんならできると思っています」ということです。

「ウチのメンバーは、年齢を重ねれば重ねるほど健康診断の数値がよくなるんです」と笑う沖中社長。写真の3人のほか、どの従業員もいわゆる「メタボ」とは程遠く、引き締まったスマートな体型をしています。大自然の下で、身体を使う仕事だからこその結果であり「日の出とともに始まり、日の入りとともに終わる」という、林業従事者ならではの嬉しい副産物と言えそうです。現代人の多くが悩まされる生活習慣病とは無縁そうな、健康的な生活が送れるというのも林業のメリットのひとつなのかもしれません。

人と関わらずに済む仕事は、やっぱりない

「林業という仕事は、責任転嫁ができないんですね。もしトラブルが生じた場合、誰が悪かったのかが明確なので」と語る中川さん。他の仕事だと責任の所在があいまいで、押し付け合ったりすることもありますが、それがこの仕事にはないので、精神的なストレスを感じなくなったそうです。
そして、中川さんはしみじみと話し始めました。「人に揉まれて、人がイヤになって、人から離れたいと思って林業を選んだのに、結果的に今、人とのつながりを一番感じています」
人との関わりなしにできる仕事など一つもない。でも、それは今までの仕事での人間関係とは違う、単純明快で心地いいものなのだとも。
「一周回って人と人との結び付きを再認識させてくれたのが、林業という仕事でした」。

中川さんの人生を賭けた選択は、成功だったようです。