松阪飯南森林組合 長森 悠介さん

「なんか、いいなぁ」と感じた松阪の地で
林業を通じた地域社会の活性化に貢献したい
松阪飯南森林組合 長森 悠介さん(28歳)



世界に通用するブランド「松阪牛」で知られる三重県松阪市。広大な市域の69%を占める森林の調査・整備を行っているのが松阪飯南森林組合です。森林保全や環境整備のほか、木材市場の運営、さらに家具や教材、玩具などの木材加工製品の販売なども行っており、搬出した木材の有効利用を積極的に進めています。また、しいたけやきくらげなどの菌床ブロックの販売も手掛けるなど、多角的な経営を展開しており、売上高や従業員数ともに、三重県下の森林組合の中でトップクラスの規模を誇っています。
6年前のある日、東京からやってきた一人の青年が松阪駅に降り立ちました。
第一印象は「うん、なんかいいなぁ」。

『神去なあなあ日常』を読んだことが転機に
「駅から組合に向かうバスの車窓風景がすっかり山深くなった頃に、ふとコンビニが見えたんですよ。ちょっと、嬉しくなりましたね」と笑う長森さん。法曹界をはじめ官界、財界に数多の人材を輩出している中央大学法学部を卒業後、この松阪飯南森林組合に就職しました。
「就職活動を始める時期になって、卒業後は大学院に進学して研究を続けていきたいと考えていましたが、そう簡単ではないというのが段々わかってきて…」と述懐する長森さん。五里霧中ともいえる状況の中、たまたま手にとったのが、何もわからずに林業の世界に飛び込んだ若者を主人公とする内容で、三重県内でもロケが行われヒットした映画「WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜」(矢口史靖監督)の原作本『神去なあなあ日常』(三浦しをん著)でした。
それが、長森青年の運命を決定づけることになったのです。

ずっと研究していたテーマと、林業が重なった
「大学で研究していたテーマをわかりやすく言うと“次世代の人たちのために今、何をするべきか”だったんですよ。祖先が50~100年前に植えた苗が大木となって子孫がその恩恵を受けるというのが林業。そして我々が育てた木が同じように次の世代に引き継がれる。研究テーマに近く、共通する“何か”を感じたんです。非常に社会的意義の大きい仕事なんだなと」。
今までまったく縁がなかった「リンギョウ」が、長森さんの中で強く意識されるようになるのに時間はかかりませんでした。それからは林業関連の本を読み漁ったり、事業体に直接問い合わせたりした末に、遂には『神去なあなあ日常』の巻末の取材協力欄に記載されていた「松阪飯南森林組合」が新卒の職員を募集しているのを知ることになります。

「東京を離れて林業従事者になる決意を固めた時、教授や友人たちは一様に驚いていました。『お前、何考えてんの』って。一度企業に就職してからでも遅くはないと言ってくれる人もいましたが、思い立ったらすぐ実行したいと考えるタイプなんで。良くも悪くも単純な性格なんです」と笑みを浮かべながら話す長森さん。
ただ、両親からは賛成とは言えないまでも、強く反対されることはなかったそうです。「母親はやはり心配が先に立っていましたが、父親は元々第一次産業に理解があったこともあり、最後は『自分で考えて決めたからには頑張れ』と。僕も『5年間は最低でもやり抜きます』と両親を前にして宣言しました」。
それまで三重県には「鳥羽水族館に一度行ったことがあったきり」だったそうですが「何もわからない、簡単には帰れない場所の方が、覚悟が決まっていいんじゃないかと思いました」と、どこまでも前向きな性格が窺えます。

内勤ではなく、自ら現場での作業を希望
「四年制大学の新卒学生を採用したというのは、組合始まって以来じゃないでしょうか」と語るのは、上司にあたる堀木寛人さん。現在、長森さんが所属している集約課の課長を務められています。「しかも東京から松阪に移住するということで、正直どうなんだろうとの思いはありましたが、その頃から本人の『林業をやりたい』という強い意志は、確かに感じられましたね。職場見学、そして採用試験、面接と段階を踏んでいき、仕事の内容を大まかにでも理解した上で『やっていける』との判断に至ったんでしょう」と、当時を振り返ります。
組合内では、測量や事務などの内勤業務もあるので、採用後はそのような仕事をするのかなと思っていたそうですが、長森さん自ら森林保全の現場作業を希望したとのことです。

とにもかくにも、異郷の地で林業従事者としての第一歩を踏み出した長森さん。しかし、いきなり林業の厳しさを痛感させられることになります。
「チェンソーなどの用具類を持って山の中を移動するのが大変で…。これが毎日続くのかと思うと、心が挫けそうになりました」
大学ではスキーサークルに所属していてトレーニングも定期的に行っていたそうですが、やはり仕事となると勝手が違ったそうです。
「どれだけ体力のある人でも、最初は戸惑うと思います。もう、慣れるしかないですね。僕は3ヶ月ぐらいで何とも思わなくなりました。仕事を通じて毎日山を登り下りしていれば、個人差はあるにせよ『体力がついたなぁ』と実感できる日が来ます」。 慣れるまでの忍耐は必要とはいえ運動経験がない、体力に自信がないという理由だけで林業への就職を諦めてしまうのは、いささか早計かもしれません。

危険回避の能力を、自ら考え高めていく
「まだ一年目の時、3メートルぐらいの高所から落ちて足を捻挫したことがあります。今だったら防げただろうと思いますし、経験不足の一言に尽きますね」と長森さん。
ケガを防ぐためには同じ職場の先輩に聞くのがベストだとか。「三重県内でも鈴鹿と松阪と尾鷲では現場の地形条件も違うし、注意すべき危険な事例にしても同じではありません。身近にいる先輩たちの体験談やアドバイスを聞いて、自分の中で危機管理の意識を高めていくことが必要だと思います」ということです。
「僕も先輩と言われるようになったので、聞かれたら答えますが、こちらから先回りして言うことはあまりないです。自主性を伸ばすことが大事だと思っているので」。
過去のさまざまな事例を見聞きした上で、自ら対策を考える。そうすることによって危機を事前に回避する技量が高まっていく。さまざまなリスクと直面する現場作業に従事していた長森さんならではの言葉です。

先述した映画「WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜」では、伊藤英明さんが演じる主人公の上司が、熱血漢のあまり大声で怒鳴り散らす、時には手も足も出るといったシーンがありました。実際にはどうなのか。あえて長森さんに聞いてみました。
「さすがに、手や足が出るということはないですね。ただ、現場では声が大きくなったり、言葉遣いが荒くなったりすることはあります。瞬時の判断の甘さによってケガをしたり、他人にケガをさせたりすることがあるので、当然と言えば当然ですし、言う方も真剣ですよ」。むしろ、映画で描かれているよりもっと厳しい世界だと思っていたとか。「自分の中でかなりハードルを上げていたので、いい意味で予想を裏切られました」。

長く務めていると、だんだん面白さが増していく
「私は20数年前に面接を受けて採用となり、翌日からすぐに現場に行かされました。その頃の先輩は50歳から60歳ぐらい。おしなべて“職人”という感じで、とにかく無口で喋らない。当時20歳そこそこで何もわからない自分が、うかつに話しかけられる雰囲気ではなく、大いに困惑しましたね」と若い頃の思い出を語る堀木さん。
今は、もちろんそんなことはなく「長森君も受講した『緑の雇用』事業をはじめ未経験者向けの研修プログラムもしっかりと用意されています。組合としても本人の希望を第一に考えつつ、一人ひとりの適性を把握しながら部署異動なども行い、働き続けやすい職場の実現を目指しています」とのことです。
「林業の魅力、面白さというのは長く務めれば務めるほどに増していきます。私も、林業従事者として生涯を全うしたいと考えていますし、簡単には言い尽くせない林業の奥深さをぜひ味わってもらいたいですね」と、就業を考えている人に訴えます。


学んできた法律の知識が、今後の仕事に役立つ
現場作業に従事してはや4年が経ち、令和6年の新年度から部署異動になった長森さん。今までとは打って変わって、デスクワークがメインとなりました。「今はパソコンの前に座っている時間が長くて…。調査業務などでたまに山に出向くと、やっぱり僕はこっち側だなと感じます」。
ただ、これも将来を見据えてのもの。堀木さんも「総合力を身につけて、森林の所有者さんに説得力のある提案を行い、それに基づき現場の技術者に作業内容を指示して、規模の小さい所有地を適性に集約・管理できるようなプランナーとして活躍してほしい。今後の林業を考えた上で、なくてはならないポジションですから。これからは内勤業務が多くなると思いますが、机上の空論に留まらない4年間の現場での経験は必ず役に立つでしょう」と、長森さんの更なる成長に大きな期待を寄せています。

普段から国や県、市など行政との関わりが何かと深い林業。書類等を作成・提出する機会も多いことから、今回の異動により学んできた法律の知識がより活かせるようになると思うと語る長森さん。「法律のみならず経営、経済、環境、防災、気象など幅広い知識が求められるのが今の林業です。この業界に転職を考えている人も、それまでの経験が役に立つ場面があると思いますよ」と語ります。
「やっぱり、プライドを捨てられるかどうかですね。堀木さんも常々おっしゃっていますが、林業に一番大切なのはコミュニケーション。わからないことは素直に聞く。僕もうるさがられるぐらい先輩に話しかけたし、この地方の独特の言い回しや言葉遣いも覚えました。時には『東京の人の喋り方だなぁ』と言われることもありましたし、新しい環境に早く馴染むために心掛けた方がいいと思います」とのことです。


林業を仕事に選んで、後悔したことはない
「実家にはたまに帰省しますが、もう東京は遊びに行くところだなぁという感覚です」と話す長森さん。「司法試験に合格して弁護士になった同期生もいます。『えっ、一緒に馬鹿やっていたあいつが』って感じでした。そっちは六法全書、こっちはチェンソーを片手にって考えると面白いですね」と豪快に笑い飛ばします。
そこには「自分は自分の道を行く」との確固たる思いが感じ取れました。
「この業界に就職して後悔したことはありません。生まれ変われるとしたら、大学生の時ではなく、もっと幼い頃から林業に関心を持っていれば、今頃はその本質にもっと早く迫れることができたかもなんて思ったりします」。
趣味は読書と映画鑑賞という長森さん。元々が学究肌ということもあり、プライベートでも林業関連の書物を手に取ることが多いそうです。「知識が偏るので、他分野の本も読まなきゃとは思うんですが、こればっかりはしょうがないですね」と苦笑いを浮かべます。

今の自分が目標を公言するのは、まだ早い
「今は市街地にアパートを借りて通勤しているので、東京での生活とのギャップはほとんど感じないですね。初めて松阪の地に降り立った時に感じた想い…、今も変わらないまま住み続けています」と語る長森さん。
最後に、林業従事者として今後こうなりたいという目標を尋ねてみました。
今まで歯切れよく質問に答えてくれた長森さんでしたが「考えていることはたくさんあります。でも、今の自分が公言するのはちょっと早いかなと。まだまだ勉強もしなきゃいけないし、実績も足りない。林業を通じた松阪を含むこの地域の活性化など、温めているプランはあります。でも具体策となると、まだ自分の中で消化し切れてないので…」と、一転して慎重な受け答えになりました。
まずは目の前の業務を着実にこなしていく。林業に魅せられ、その深遠さに触れようと、一歩一歩辿っていく長森さんの行く末は…。
楽しみでしかありません。自信を持って秘めた思いを明らかにする。
近い将来に必ず実現するであろう、その日を待っています!